会長紹介

https://global.honda/jp/news/2003/c031015.html

https://car.motor-fan.jp/article/10008049

神戸啓文はHONDAR&D東南アジア社長で勤務した2年間での実績

神戸啓文48歳この時、本田技術研究所取締役に就任し、東南アジア社長となり、人生最大のチャンスが訪れた。
CP本社近くにあったHONDAR&D東南アジア事務所をスワンナプーム空港のあたりに引っ越した。
(当時はまだスワンナプーム空港は無かった。)
HONDAR&DベトナムをHONDAR&D東南アジアの関連会社として設立し、ハノイで立ち上げた。
HONDAR&DインドをHONDAR&D東南アジアの関連会社として設立し、デリーで立ち上げた。

HONDAR&DインドネシアとHONDAR&Dシンガポールは就任時から既にあった。
HONDAエイジャンという(多分、HONDAアジア)親会社の副社長とともにタイで交通法規を変える試みに挑戦した。

この副社長はタイ人でCPグループ現社長のノポドンと仲良くなったのはこの副社長の紹介によるものだそう。

神戸、再起の朝

神戸の一日は、薄曇りの朝のサイクリングから始まる。
この自転車は、近所の人がもう使わなくなったものを譲り受けた。
彼にとっては、これが唯一無二の“相棒”だ。
残されたのは、この古びた自転車と、己の身体ひとつ。
それでも神戸は、ペダルを踏むたびに、何かを取り戻しているように見える。

午前十時。彼はスーパー銭湯へ向かう。
湯船に身を沈めること、一時間。
唯一の安らぎの時間だ。

「湯のぬくもりさえあれば、生きていける。」
そう笑う顔に、どこか達観した静けさがある。

昼時になると、コーヒーを片手に、文庫本をめくりながら過ごすひととき。
ランチを終えると、夜に備えての準備が始まる。
自宅で、飯ごうを使い、米を炊く。
一日二食。
「日本人は、米と味噌があれば生きていける。」
それが、神戸の信条だ。

午後。彼は自室に戻り、ノートとペンを手に取る。
研究テーマは「発電タービン」。
HONDA時代の経験を基に、独自の構造設計を考案している。
「タービンは、車やバイクよりも、むしろエアコンに近い仕組みなんです。」
そう語る表情は、少年のように純粋だ。
今あるのは、紙の上の構想だけだ。

夕方になると、彼は家の中でテントを張り始める。
「寒さを凌ぐには、空間を小さくするのが一番効率的。」
理屈を超えた、生存の知恵がそこにある。

夜十時。
火は消え、テントの中は静まり返る。
明かりも暖もないが、彼のまぶたはゆっくりと閉じていく。

誰も知らない場所で、神戸は今日も静かに、明日を作っている。

HONDAの時のスーパーカンベさんになると・・・